念仏宗大研究!親鸞はなぜ現代でも愛されるのか

念仏宗大研究!親鸞はなぜ現代でも愛されるのか

仏教といえば親鸞、念仏宗といえば親鸞と言われるほど、親鸞は日本人にとって親近感のある存在のようです。
なかには、仏教全体の開祖が親鸞だと思い込んでいる人も少なくないそうです。
もちろんそれは誤解なのですが、そのように勘違いされるほど仏教界にとって親鸞という存在が大きいということなのでしょう。
親鸞が日本人に広く愛される理由は、その寛大さです。
親鸞が説いた教えのひとつに、「悪人正機」があります。
これは悪人であっても真摯に念仏を唱えていれば必ず救われる、という風に一般には理解されているのですが、その解釈にはちょっとした誤解があります。
親鸞は決して悪人こそが救われると言っているのではありませんし、ましてや、自らすすんで悪人になれと説いているわけでもありません。
「根っからの善人が仏の道に近いのなら、悪人もまた念仏によって救われるでしょう」。
親鸞の教えの本質はここにあります。
決して、悪行を無条件に肯定しているわけではありません。
悪行をはたらいた人間でさえもお救いになられるほど念仏宗は寛大だということを訴えたかったのです。
親鸞の真意を深く読み解くことで、仏教の全体像をも見通すことができます。

唯円は何を伝えたかったのか?親鸞と念仏宗

親鸞の正統な後継者として現代でもその名をあげられるのが唯円です。
親鸞の直系の弟子であった唯円は、師匠の教えの聞き書きという形で「正信偈」を著し、念仏宗の本質を後世に広く伝えました。
唯円は一体、親鸞の教えのどんな部分を語り継ぐために「正信偈」という大著を遺したのでしょうか。
唯円がその生涯をかけて後世に伝えようとしたもの、それは一重に念仏宗そのものの寛容さと明快さなのではないかと勝手に分析しています。
唯円は決して、師匠である親鸞の偉大さを強調するために「正信偈」を記したのではありません。
念仏を唱えることですべての人が救われる、という念仏宗の本質をより多くの人に理解してもらうために、長く壮大な聞き書きというスタイルをとったのです。
聞き書きの形式をとっているものの、「正信偈」には唯円自身の考えと思われる記述がところどころに見受けられます。
念仏宗を一緒に体験しよう
中には親鸞の教えを間接的に否定しているとされる部分もありますが、それは決して単なる意見の対立ではありません。
親鸞の教えを唯円が拡大解釈、今の言葉で言えばマイナーチェンジしたからこそ、念仏宗はわかりやすい教えとして現代でも広く受け入れられているのです。

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